いぬ日記

元猟犬が文章を書きます。

「褒め」の魔力

こんにちは、しりうすです。

 

皆さんは、日ごろ誰かに褒められることがありますか?

 

今回は、私の感じる「褒め」が持つ力の話をしようと思います。

 

それでは始めましょう。

 

人はなぜ褒める?

そもそも、人はいつ褒める・褒められるのでしょうか。
考えてみると、日常にはさまざまな褒めのタイミングが存在しています。

学校のテストで100点を取ったとき、町のボランティア清掃に参加したとき、大会で良い成績を残せたとき。

一般的に喜ばしいことに対して 「褒め」 が発生することが多いように思います。

私は、そのような日常的にある褒めのタイミングを意識することが大事だと考えています。

ところで、そんなに誰かを褒めて褒めてしても何か良いことあるのか?というのがまず湧いてくる疑問だと思います。

ここからは、褒めが人に与える良い影響について話していきます。

褒めで人は伸びる

褒めというものはどのようにして人に影響を与えるのでしょうか?
ここから話すことは、完全に私の意見になりますのでご理解下さい。

人は褒められるのが好きです。
先生に親に、友達にだって褒められると嬉しい気持ちになることを経験しながら成長するものです。

では、自分ではなく他人が褒められているのを見るのは好きでしょうか?

私はあまり、好きではありません。

~回想~

小学生・中学生時代、(自分でいうのも何ですが) 私の成績はかなりいい方でした。
大体学年のトップ3には入るくらいのレベルで、担任の先生や友達からも褒められることが多かったです。

しかし、高校 (高専だが) に入ってからは周りのレベルが上がり、自分だけが褒められる環境からガラリと変わりました。
成績も特に秀でているわけではなく、先生からもまあ頑張って、くらいの言葉しかかけていただけなくなりました。

そこで、私は初めてこう思いました。

自分以外の誰かが褒められているのは気に食わない、と。
本心からそう思ったのです。

それもあってか、入学からその気持ちを原動力に学習を続け、4年になった今ではクラスでもトップ3に入れるようになりました。

まあ、こんな感じで身の上話を行いましたが、結局言いたかったのはこれです。

他人が褒められているだけでも、自分の力になる。

ほとんど嫉妬のような感情であったと思いますが、それでも心の動きが行動へとつながった大事な経験です。

つまり、自分が褒められても幸せだし、他人が褒められても行動力につながって幸せ。

褒めの魔力というのは、こんなにもいいこと尽くしなものなのです。

もっと誰かを褒めてみよう!

褒めの良さが、少しでも伝わったでしょうか。

誰かを褒めるというのは、絶対に悪いことではありません。

皆さんも、日常的に勇気をもって誰かを褒めてみましょう。

きっと、巡り巡ってあなたにも幸せが届くこと間違いなしです!

 

では、今回はこのへんで。

お時間いただきありがとうございました。

 

.......よし、記事かけてえらい!明日も頑張って!

ではでは。

独りマックで青春と出会った

こんにちは、しりうすです。

 

一昨日、マクドナルドへ行ってきました。

そして、もう絶対に 独りでマックには行かない ことを決めました。

 

今回はそこに何があったのかと、私が何を感じたのかを話そうと思います。

それでは始めましょう。

 

マクドナルドは溜まり場

皆さんはマクドナルドへ行ったことがあるでしょうか。
おそらく、殆どの人は「当たり前だろー(笑)」と心の中で呟いたことだろうと思います。
勿論、私もそう問われれば同じことを考えます。

では、皆さんは 独りで マクドナルドへ行ったことはありますか?

聞いといてなんですが、これも結構あるかもしれません。
マクドナルドは手軽にご飯が食べられるのも魅力の一つです。一人で行くのにもうってつけですね。

しかし、それはそれとして私はあることを気にしていました。

それは、マクドナルドが 高校生の溜まり場である ことです。

自分でも驚くほど気にしていました。しかし、今日になってその理由がはっきりと理解出来ました。

それは、マクドナルドが 青春の残滓の溜まり場でもある からです。

学校終わりが存在しなかった高校時代

少し自分語りをしますが、私は高校時代 (正確には高専だが) 、学校に併設されている寮で生活していました。
放課後は部活をしていましたが、それが終わっても帰るのは徒歩2分で到着する場所です。

当然ながら、そこには 学校終わりの時間 というものが存在していませんでした。
放課後の他高校生を見て苦しくなり始めたのは、この頃だったかもしれません。

もう得ることのできない経験がそこに

こんな感じで放課後マックに憧れを抱いていた私は、店内に入った瞬間に瞼を半分ほど閉じてしまいました。

まぶしい、まぶしすぎる......

ドアの先には楽しそうに話す高校生たちの姿が、ブレザーや学ランを羽織った数多の青春がそこにはあったのです。

その光景は圧巻でした。去年の春にその経験をする権利を失った私には、高校生たちの姿はとんでもなく輝いて見えました。

「あーうらやまし」 そんなことをつぶやきながら、私はいつもより多めにチキンクリスプを平らげました。もうお腹はいっぱいです。

青春の残滓よ、永遠に

今回の独りマックで、私はほんとに様々なことを感じました。

自分の青春をその高校生に重ね合わせて、勝手にショックを受けていただけといえばそれまでですが、それでも思い返してしまうものです。かつて抱いていた感情は、そう簡単には消えてくれないみたいです。

マクドナルドに積み上げられた青春の残滓は、いつまで経っても残り続ける気がしています。

友達と一緒に過ごそう!

高校生やさらに若い中学生でもそうですが、その時しかできないことは存在します。若さはそのためのステータスだと気づきました。

ちょっとでも今の時間を大事にしたいと思ったら、今すぐにでも友達と一緒にマクドナルドへ行ってみてください。

あなたの青春がより前に進むことを祈っています。

それでは、貴重なお時間をありがとうございました。

なぜ人はブログを書くのだろう?

こんにちは、しりうすです。

今日は 「人がブログを書く理由」 について考えた話をしようと思います。
それでは始めましょう。

 

「ブログを書く」とはなにか?

皆さんは ブログ に対してどのような印象を持っているでしょうか?

自分の趣味を紹介するもの、技術の共有をするもの、はたまたネット上に書く日記のように考えている方もいるかもしれません。もしくは、閲覧するだけで面白いとか役立つから見ている、といった方も多いことでしょう。まぁ、このはてなブログ自体もそのような目的で作られたサービスのようなので、大方の認識はそこまで外れていないと思います。

では、ブログを書く とはどういうことだと思いますか?

ブロガーの数だけ意見があるのは当然ですが、ここでは私が辿りついた結論を話します。ブログを書くこと、それは 「昔の自分と話すこと」 だと私は思います。

 

ブログは「自分へのメッセージ」である

一般的にですが、記事は消そうとしない限り消えることはありません (サーバが落ちるとかは別にして) 。それはすなわち、過去の自分が考えていたことや感じていたことを、現在の自分がそのまんまに受け取れるということです。

昔の自分と話すというのは、例えばド〇えもんでもいないかぎりできません。
しかし、自分の書いたブログを通してみると「あの時の旅行最高だった!また行きたい!」「めっちゃ頑張って作った!みんな見て!」といったような当時の楽しさや悲しさ、嬉しさなどの全てを感じることができると思います。

即ち、ブログは昔の自分からのメッセージです。そして、今の私に「楽しかったね」「嬉しかったね」と言わせてくれるものなのです。そう考えると、ブログを書くことがより面白く感じてきませんか?

 

まとめ

今回は 「人がブログを書く理由」 を考えました。

私なりの結論が出せてとても満足です。ブログを書くっていうのは、結局こういう類の自己満足なのかもしれませんね。

これ以上話すと結論がブレそうなので、記事はここまでにしたいと思います。
いつかこの記事も、未来の自分と語り合えますように。

貴重なお時間をありがとうございました。